第1章出発点 アニメーション映画への情熱

「狼少年ケン」(1963~65年)
©東映アニメーション

高畑勲は1959年に東映動画(現・東映アニメーション) に入社し、アニメーションの演出家を目指します。

演出助手 時代に手がけた「安寿と厨子王丸」(1961)に関しては、新発見の絵コンテをもとに若き日の高畑が創造したシーンを分析します。その新人離れした技術とセンスは、TVシリーズの「狼少年ケン」(1963~65)でもいかんなく発揮されました。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968年)
©東映

劇場用長編初演出(監督)となった「太陽の王子 ホルスの大冒険」(1968)においては、同僚とともに試みた集団制作の方法と、複雑な作品世界を構築していくプロセスに光を当て、なぜこの作品が日本のアニメーション史において画期的であったかを明らかにします。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」は、ぼくたちの青春の一時期の
すべてを注ぎ込んだともいえるたいへんに思い出深い作品です。

第2章日常生活のよろこび
アニメーションの新たな表現領域を開拓

岩手展では
「アルプスの少女ハイジ」
のジオラマが登場します

※写真はイメージです

子どもの心を解放し、生き生きさせるような本格的なアニメシリーズを作るためには、
どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた。

「アルプスの少女ハイジ」(1974年)
©ZUIYO「アルプスの少女ハイジ」
公式ホームページ http://www.heidi.ne.jp

東映動画を去った高畑は、『アルプスの少女ハイジ』(1974)にはじまり、『母をたずねて三千里』(1976)、『赤毛のアン』(1979)という一連のTVの名作シリーズで新境地を切り拓きます。

毎週一話を完成させなければならない時間的な制約にもかかわらず表現上の工夫を凝らし、衣食住や自然との関わりといった日常生活を丹念に描写することで、一年間 52話で達成できる生き生きとした人間ドラマを創造したのです。

宮崎駿、小田部羊一、近藤喜文、井岡雅宏、椋尾篁らとのチームワークを絵コンテ、レイアウト、背景画などによって検証し、高畑演出の秘密に迫ります。

©NIPPON ANIMATION CO., LTD.
“Anne of Green Gables” (tm)AGGLA

「アルプスの少女ハイジ」(1974年) ©ZUIYO
「アルプスの少女ハイジ」公式ホームページ http://www.heidi.ne.jp

岩手展では「アルプスの少女ハイジ」のジオラマが登場します

※写真はイメージです

子どもの心を解放し、生き生きさせるような本格的なアニメシリーズを作るためには、
どうしなきゃいけないのかということを一生懸命考えた。

第3章日本文化への眼差し
過去と現在の対話

映画『じゃり子チエ』(1981)、『セロ弾きのゴーシュ』(1982)以降は日本を舞台にした作品に特化、日本の風土や庶民の生活のリアリティーを活写します。

その取り組みは、1985年に設立に参画したスタジオジブリにおいて、『火垂るの墓』(1988)、『おもひでぽろぽろ』(1991)、『平成狸合戦ぽんぽこ』(1994)という日本の現代史に注目した作品群に結実します。

日本人の戦中・戦後の経験を現代と地続きのものとして語り直す話法の創造と、「里山」というテーマの展開に注目します。

日本人が日本のアニメーションを作る、
とはどういうことか、いつも考えていました。

「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)
©1994 畑事務所・Studio Ghibli・NH

第4章スケッチの躍動
新たなアニメーションへの挑戦

「ホーホケキョ となりの山田くん」(1999年)
©1999 いしいひさいち・畑事務所・
Studio Ghibli・NHD

高畑はアニメーションの表現形式へのあくなき探求者でもありました。90年代には絵巻物研究に没頭して日本の視覚文化の伝統を掘り起こし、人物と背景が一体化したアニメーションの新しい表現スタイルを模索し続けました。

その成果は『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年)と『かぐや姫の物語』(2013)に結実します。

デジタル技術を利用して手書きの線を生かした水彩画風の描法に挑み、従来のセル様式とは一線を画した表現を達成しました。美術への深い知識に裏付けられた高畑のイメージの錬金術を紐解きます。

「かぐや姫の物語」(2013年)©2013 畑事務所・Studio Ghibli・NDHDMTK

描いてない部分があるとか、
ラフのタッチのままだとか。
そしてそれが、とりもなおさず、見る人の心に
記憶を探ろう、想像しようという気持ちを呼び覚ますんだと思います。
「かぐや姫の物語」での線の途切れ・肥痩、塗り残しがたつきなどは、そのためにやくだったのではないでしょうか。